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老年科医のひとりごと 第29回

自分のことは自分でできる子

井口 昭久
愛知淑徳大学健康医療科学部教授

 春である.わが家の狭い庭にはボタンが花弁をかざして大きな顔をしている.
 居間のドアを開けて,柱に手を添えて足元を確かめて庭に出た.小さめの真っ赤なボタンを思いきりハサミで切った.ついでにチューリップもとってカスミソウも摘んだ.
 屋内に戻って,花瓶に入れて机に飾ると庭に咲いていた花が語り掛けてくるようだ.部屋の雰囲気が緑の館になった.
 自分で切り取った花は,妻が活けた花と違って見える.
 私は今から10年ほど前まで国立大学に勤めていた.いつも秘書が何でもやってくれた.日程調整を初めとして新幹線の切符,宿泊の手配,書類の整理などすべて秘書に依存していた.
 私立大学に変わってきてから秘書はいなくなった.銀行の振込や郵便局での手続きなどを自分でやらなければならなくなった.そしてできるようになった.
 住民票だって区役所へ行ってもらってくることもできるようになった.それにコンビニでおにぎりを買うようになった.
 家に帰ればお料理もするようになった.スーパーで買い物をしたり,インターネットで料理のレシピを調べたり,花屋で秋には草花の種を買えるようにもなった.洗濯機を回して洗濯物を干すことだって自分のことは自分でできる子W260(トリミング済)できる.週に1回はクリーニング店へも行っている.
 私が自分のことを自分でできるようになったのは最近のことだ.
 自分で摘んだ花を活けると心が豊かになることを知ったのも老人になってからだ.

 私が長く勤めていた国立大学には保育園があり,今年の春に50周年を迎えた.私はその来賓に招かれた.
 挨拶の準備に保育園のホームページを開いてみると「保育目標と子供像」が書いてあった.目標は6つあって2番目に「自分のことは自分でできる子」と書いてあり,4番目に「情操豊かな子」とあった.
 私はようやく保育園の目標に近づいていたのだった.

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