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老年科医のひとりごと 第4回

夫婦

井口 昭久
愛知淑徳大学健康医療科学部教授

 小春さんは72歳である.
 小柄で丸い体形でいつもにこにこしている.夫は73歳である.夫は典型的な亭主関白である.子供は2人いるが今は離れて住んでいる.夫婦と1匹の猫で生活をしている.
 夫は定年になってからは毎日家にいるようになった.
 朝起きて真っ先に新聞のテレビの欄をみる.用意された朝食を食べると散歩するわけでもなく,テレビをみている.昼食も自分で作ることはなく食べ終わった皿を洗うこともない.夕食は何にするかと聞いてくる.食べること以外に興味はなさそうである.外出は滅多にしない.
 3年前に夫に糖尿病が発見された.
 小春さんは毎日の食事量を計算して夫に協力した.夫は最初の頃は妻に従っていたが,数カ月経つと妻の懇願を無視して間食をするようになった.万歩計は買ってはみたが家の中をぐるぐる回るだけで,それも止めてしまった.
 彼女は夫の態度を私に愚痴っていたが,最近では何も言わなくなった.一向に生活習慣を改めない夫に愛想が尽きているようだった.小春さんのニコニコ顔は見られなくなった.夫の糖尿病は危機を迎えていた.
 小春さんが先週の外来に1人で現れた.思いつめた顔をしていた.夫婦の図(350)トリミング済
 
真剣な表情で私に尋ねた.「先生,クビにも癌はできるのですか?」,「できるけど,いつから気がついたの?」,「昨日です.触っていたら気がついたんです」,「固いの?」,「こりこりします」,「触ると痛いの?」,「わかりません」,「それじゃ触ってみようか」と私は彼女の頸に手を伸ばした.すると「私じゃないんです」と言った.「膝の上に寝かせて撫でていたらわかったんです」というので「あーそうか,ご主人のことか」と言った.
 膝枕にして夫の頸を触ったということだと思った.
2人はそれほどに仲がよいのかと私は改めて感心した.
夫婦のことは他人には計り知れないものだと思った.
 しかし「猫にも癌はできるんですか」と彼女はうなずくように言った.
 小春さんは猫の相談に来たのだった.

 

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