コロナと社会
井口 昭久
愛知淑徳大学健康医療科学部教授
私の勤めているクリニックは耳鼻科を併設している.
私の外来の患者は少ないが,耳鼻科はいつもいっぱいで定時に終わらない.
「先生,扁桃腺の患者ですが耳鼻科がいっぱいなので内科で診てやってください」と待ちくたびれて,ヒステリーが爆発しそうな患者を看護師が私のところへ連れて来ることがよくあった.待合室は子供から年寄りであふれていた.
しかし最近では耳鼻科の患者で賑わうはずの月曜日でさえも待合室には数人しかいない.
日頃から患者の少ない私の外来は閑古鳥が鳴いている.
患者たちがいつでも死ぬ可能性がある場所に近寄らなくなったのだ.
週に1回私が診ている名古屋市近郊の病院でも患者数が減っている.月に1回大学病院の歯科に通っているが,そこでも患者数はいつもの2/3であるという.
コロナの流行りだした頃は医療機関側もできるだけ医療施設に近寄らないように宣伝した.それでもやむにやまれぬ患者は少なからず存在すると思っていたのだが,よほどのことがない限り新しい患者が来院することはなくなった.
それは患者予備軍が「医者へ行かなくても大丈夫」という経験を積んだからではないかと思われる.一度学習した患者たちが再び外来へ戻ってきてくれるという保証はない.
病気を恐れるために病院へ行かなくなる.馬鹿げたパラドックスだ.
私は支払基金の幹事をしているのだが,そこの集計によると医療費は減少している.どうやっても減少させることができなかった国民の総医療費が減ってきたのである.
医療崩壊が起こるほどにドタバタ騒ぎをしているのに医療費が抑制された.これもおかしなパラドックスだ.
コロナ以前の社会がいかにいびつなものであったかの証である.