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老年科医のひとりごと 第49回

わざわざ老人が年末にドイツへ行く理由

井口 昭久
愛知淑徳大学健康医療科学部教授

 1960年代は世界中に学生運動の潮流が起きて日本もその例外ではなかった.私たちの学生時代は学生運動が盛んであった.革命は歴史的必然であると真剣に考えている学生がいた.
 「君が革命運動に参加しようとしまいと日本は革命国家になる.そのときに備えて今から思想的な変革を成し遂げておかなければならない」と彼らは私のようなノンポリの説得を試みた.
 「もしも革命が起きて社会が変わってしまったら,その社会に合わせて生きていく自信がもてない」と臆病者の私たちが答えると「それは今の自分が変わらないと思うからだ.社会が変化するように君も変わるのだ.だから心配しなくていい」というのが彼らのいう「革命的楽天主義」であった.
 76歳のSさんは糖尿病で私のクリニックに通院している.
 毎朝,モーニングコーヒーを飲みながら朝食を食べている.同じ年頃の仲間たちが喫茶店に集まりその日の予定を決める.今日はゴルフへ行こうか,それともカラオケにしようかとか,どこへ行くにも予約などいらない気ままな生活を続けてきた.今までは….
 それが年末から正月にかけてドイツへ行くという.
 「正月は旅行代金が高いんじゃないの」と私が外来で聞くと「高いですよ」,「いくらぐらい?」,「70万ぐらい」,「普段の倍じゃない.ビジネスで行くの?」,「いやビジネスはもっと高い」,「奥さんと行くの?」,「友達と」,「何で?」,「女房はうるさいんでね.先生もそうでしょ」と私に同意を求めた.
 「あんたたち暇じゃない.なんでそんなビジーなときに行くの?」と私はたたみかけた.「ウイーク何故に老人がドイツに(W270)デイの閑散とした観光地へ行っても誰も相手にしてくれないんですよ」
 暇な観光地へ行くと業者が手抜きをするような気がするそうだ.料理もサービスが悪くなるのだという.
 年寄りだけ集まって閑古鳥の鳴く観光地へ行っても一人前に扱ってくれないと感じているのだ.だからわざわざ人を集めて人混みの日に行くのだという.
 私は「革命的楽天主義」の話を思い出した.
 「社会は変わっても人は変わらない」のだ.

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