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老年科医のひとりごと 第42回

白衣の下

井口 昭久
愛知淑徳大学健康医療科学部教授

 高校の頃,身長が178cmで体重は53kgであった.
 私があまりにも痩せていたので,母親が心配して町の医者の所へ出かけて相談すると「痩せ」と診断されて帰ってきた.あの頃の田舎の医者は威張っていた.
 乾燥した畑にネギが取り残されていた.ネギはひょろひょろと伸びて先端に葱坊主があった.
 女子学生に出会った.私が憧れていた彼女は私を見て「ネギみたい」と言った.食欲がなくなる真夏の思い出である.ひょろりと伸びた食べられないネギのサキッポの坊主は,痩せこけた私の頭に似ていたようだ.若い女の子は残酷だ.その一言で私は肉体に対する劣等感をもつに至った.
 医学生になって肥満度を計算すると-28%で痩せを越えて“病気”に分類されていた.
 私は腹の周りを太く見せるために腹巻を夏でも巻いていたりしていた.汗疹ができて,痒くて,湿疹ができて,腹の周りはいつも色素沈着で紫色になっていた.
 胸の筋肉が薄くて「洗濯板のようだ」とまだ出会ってもいない相手に言われるのが怖くて結婚を恐れていたりもした.
 太って腹の出た人がうらやましかった.
 69歳のときに前立腺癌になり,ホルモン治療を受けると私の体重は急速に増えてきた.体重が65kgを超えるまでに太った.白衣の下(W210)
 ズボンが合わなくなってきた.外来で座って患者を診ていると腹の周りが窮屈になった.ベルトを緩めてズボンの上のボタンを外した.それでも下腹の窮屈感がとれなかった.ズボンの全体が下腹部をきつく締め付けているのだ.
 私はチャックも下ろしてズボンの存在感を消した.前が開いたままになったが白衣で覆い隠して診療を続けた.
 患者たちは白衣の下のズボンが開いていることに気がつかない筈だ.
 今は腹の出ていない痩せた人がうらやましい.人は自分のもっていないものをうらやましがるものだ.

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