分け入っても 分け入っても 青い山
井口 昭久
愛知淑徳大学健康医療科学部教授
名古屋市内には飯田街道という道路がある.飯田は私の故郷である伊那の隣町である.名古屋に暮らし始めた頃には,飯田の名前がついた道路に言い知れぬ親しみを覚えたものだった.苦しいときには,この道を辿れば,いつでも故郷へ帰ることができると思って生きていた.
南信州には伊那谷と木曽谷があるが,どちらも山の中である.帰郷するときは比較的整備されていた木曽谷の国道を利用して,伊那谷を帰ることはなかった.いつかは伊那谷を貫く飯田街道を使って帰ってみたいと思い思いしながら生きてきた.
私には飯田の山奥に懐かしい思い出がある.50年以上も前,私の叔父は飯田の山の中の小学校の先生をしていた.私はそこを訪ねて数日間滞在したことがある.
飯田線の電車を降りてバスに乗って山へ入った.山の中腹で2つ目のバスに乗り換えて2時間はかかって辿り着いた山奥であった.叔父さんは大学を出たばかりの新米の教師で,女性の教師と2人で村の分校を切り盛りしていた.
谷間の水に手を入れるとひどく冷たかったことを覚えている.
今年(2022年)の5月の連休に久しぶりに帰郷した.私の実家は空き家になっており今は誰も住んでいない.
数年前から国道が整備され飯田街道が新線として生まれ変わったという噂を聞いていたので帰路は飯田街道を使った.念願の秘境をドライブしようと思ったのだった.
しかし秘境は様変わりしていた.深い森の中を端正に整備された道路が貫いていた.山の中腹にはトンネルが何本も掘られており峠を越える苦労は省けるようになっていた.叔父さんが教師をしていた村の辺りを十数分で通過した.道路はたった半世紀の間にとてつもなく進化した.
しかし山頭火のいう「分け入っても 分け入っても 青い山」であった私の故郷は,次第に遠くなっていくように思えた.