憎めないが始末の悪い患者
井口 昭久
愛知淑徳大学健康医療科学部教授
Wさんは10年前から私の外来に通院している糖尿病の患者である.65歳で建設会社に勤めているらしい.
「先生だけが頼りですのでお願いします」といつも愛想がよい.
「今日もコントロール悪いね」と私が言うと,「わかっています」と神妙な表情になった.「このご時世でしょ.最近では散歩もできませんよ」,「そりゃそうだけど,前回よりもさらに悪くなっていますよ.このまま悪くなっていくとインスリンを打つことになるよ.私の言うことを聞いてくださいよ」,「私は先生の言うことをよく聞いております」,「聞いているだけじゃないか.聞き流しているだけだよね」,「その辺りはよく自覚しております」,「自覚するなよ,そんなこと」,「美味しい物があるともう駄目なんですよ.先生もそうじゃありません」,「まーそうだけどね」
「ところで最近美味しいお店を発見しましてね」,「どこで?」,「名古屋なんですよ,それが,うまいんですよ」,「近いの?」,「すぐそこですよ」,「それじゃ今度行こうかな」,
「ぜひ行きましょう」
「それにしてもこのまま放っておく訳にはいかないので,そろそろ薬を増やさにゃいかんね」,「先生.それだけは勘弁してください.もうこれ以上薬を増やさないでください」,
「これ以上ってまだ1剤飲んでいるだけじゃない」,「先生,もう1回だけ待ってください」,「そう言い続けてもう2年になるけどね.私は2年間待ち続けているんだけどね」,「よくわかっています.とにかく薬を増やすのだけは止めてください.先生だってそう思ってるでしょ」,「まーそうだけど.薬が増やせないなら,あなたにお願いするしかないね」
「そうですね」,「お願いですから間食を止めて毎日散歩をしてください」,「わかりました.できるだけ歩くようにしましょう」,「そしてお願いだから,お酒を控えてください」
どういう訳か私が患者に哀願することになった.
患者が最後に言った.「できるだけ先生の意に沿うように努力しましょう」