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老年科医のひとりごと 第66回

世紀のラブレター

井口 昭久
愛知淑徳大学健康医療科学部教授

 

 酒を飲まずに床に就く習慣がついてから寝覚めに苦労しなくなった.
 6時に起きると2階の短い廊下を歩く.30分経過して台所へ降りて行く.パンを焼き,卵焼きを作り,紅茶を淹れる.妻がその作業に加わると私は手を引き新聞を読む.
 何気なく「もうすぐこういう生活も終わりになるね」と言ってみて,言ってはならぬことを言ってしまったような気がした.
 文藝春秋に載っていた特集「世紀のラブレター(2008年新年特別号)」を思い出したのだ.
 読んだとき,イタク感激したので抜粋をパソコンのドキュメントに残しておいた.
 女優の沢村貞子の夫である大橋恭彦が書いたものである.
 大橋は平成6年に沢村を残して83歳で亡くなった.これは彼の死後みつかった手紙であると解説されている.その抜粋を載せる.
 「──わたしにはこんな楽しい老後があるとは思っていなかった.あなたにめぐり遭えたということ,そして二人で寄り添って生きてきたこと,わたしは幸せだった.あなたも幸せだった,とおもう.この先どんなにいたわり合って生きても十年がせいぜいだと思う」
 「どちらが先になるかはわからないけれど,先立った者が待っていて,来世も一緒に暮らしましょ,来世もこうしておしゃべりをして,おいしいものを食べて,楽しく暮らしましょ」
 貞子は最近この言葉をよく口にするようになった.
 正直言ってある晩なんのきっかけもなく,「来世も一緒に暮らしましょうよ,ね」と話しかけらW260れて私は絶句してしまった.そして泣き出しそうになるのをじっとこらえた.
 今日のこのおだやかなひととき,ひとときの延長線は彼女の言うように,まもなく断ち切られてしまう.
 二人のうち一人が生きる張り合いを失い,泣きながら「永い間お世話になりました.ありがとう.さようなら」を言わなければならない.その日は二人がどうもがいても,叫んでも避けられはしない.
 ──私は講演で声を出してこの文章読むと,声が詰まって涙が出そうになって,ちょっとだけ間を置かないと先へ進めなくなる.

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