私の未来
井口 昭久
愛知淑徳大学健康医療科学部教授
現在勤めている大学のクリニックで外来診療を始めて13年になる.最初の頃は学内の人が風邪で来院するのみで,学外からの患者はほとんどなかった.あまりの患者の少なさに私は大学に申し訳ないと思っていた.
半年ほど経つと紹介患者が来るようになった.近くで開業していたS先生が廃院することになって,そこの患者が紹介状を持って外来に来るようになったのだった.
ある日,看護師が私の外来に来て言った.「大変,大変!S先生が来た!!」
S先生本人が患者として私の外来を受診したのだ.その後,先生は糖尿病患者として私の外来に通院するようになった.先生は84歳になったのを機に開業をやめたのであった.私の卒業した大学の先輩でもあった.
先生はやめた後も毎日医学の勉強は続けていた.ゴルフが趣味でハンデキャップは14であった.先生の姿は私の未来を投影しているように思えた.
それから5年が経った.
ゴルフは毎週続けていたが,アプローチでボールが見えにくくなってきた.視力の衰えは抗いようがなくなり,自動車免許証を返納した.医学部の同窓会は毎年開催しているが出席者が次第に減って100人のうち残っているのは13人だけであるといっていた.
それからさらに5年が過ぎて先生とのお付き合いが10年を超えた.
私の外来は相変わらず患者数は少ない.先生は94歳になった.最近難聴も出てきた.私の問いかけに反応しないこともあるようになった.軽度の認知障害はあるだろうとは思っていたが,わざわざ診断をして病名をつけることは避けていた.ある日,妻が付いて来て「最近もの忘れが多くなった」といった.
傍らで聞いていた先生は不安げに妻の横顔を眺めた.そして怯えたように私を見た.