怒りが通じない!
井口 昭久
愛知淑徳大学健康医療科学部教授
8月の初めに構内のクリニックに女子学生が受診した.ぼろぼろのズボンを穿いており,膝から下が剥がれ落ちそうであった.「ズボンに穴があいてるよ」と注意してやると「ぼろぼろデニムパンツです」と嬉しそうに言った.
そして「私,先生の講義受けてました」と顔を紅潮していった.「覚えてます?」と親し気に上目遣いで私を見つめた.学生は1クラスに170人もいるのだ,「覚えているわけねーだろ」と思ったのだが,そうは言わず,診察を続けた.「喉が痛い」という.風邪だ.真っ黒に日焼けしていても風邪症候群には罹るようだ.
先週まで1年生の講義をしていた.
私が教室に入ると学生たちが教室に群れていた.「座れ!」と怒鳴るといすについたが,座っても話は続けていた.「黙れ!」と再び怒鳴ると一瞬静かになった.
しかし,気を抜くとあちこちから私語が噴出する.そこでまた怒鳴る.それを数回繰り返すと,「授業中におしゃべりをすると,先生に叱られる」ということをようやく理解するようになるのが普通の学生だ.
しかし,なかには「私語が止まらない病気」をもった学生がいる.
彼らは怒鳴られても自分が叱られているとは思わない.
私が前日に一夜漬けで準備してきた講義をありがたがるどころか,公然と無視して平気でおしゃべりをしている.当方も自信のある講義ではないので弱みはある.だから余計に馬鹿にされたようで腹が立つ.
その日も隣の男の子とひそひそと話をしている女子学生がいた.私は意を決して,傍に行き,机をたたいて「しゃべるな!!」と怒鳴った.
その子は,消え入りそうに小さくなって泣き出しそうになった.私は「怒りすぎたか?」と気になった.講義後も「自殺でもされたら困るな」と心配になった.
今,目の前にいるのはあのときの私語症候群の学生だと思い出した.私に叱られたことなどすっかり忘れているようだった.
喉を診るために「口を開けて」というと,にこにこして「アーン」と口を開けた.